【凄惨】マリー・アントワネットの息子、ルイ17世の最期が酷すぎる…。wikiを見て気分が悪くなる人が続出

ルイ17世とは

(1785年3月27日 – 1795年6月8日)、わずか10歳でこの世を去った

フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男

幼年ながらも目鼻立ちは整い、赤みがかったブロンドの髪に碧眼を持つ美しい顔立ちと愛嬌もあり、活発な性格で宮廷内の人々を魅了した

革命後の悲惨な監禁生活

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タンプル収容所

ルイ17世はマリー・アントワネットらとともにタンプル塔に幽閉された

恐怖政治下にあったタンプル塔収容者への待遇は次第に悪くなり、1793年5月初めに高熱と脇腹の痛みを訴えたルイ17世のため、マリー・アントワネットは診察を要求したが、何度も拒否され続けた。その後、診察が行われ、熱は下がったが腹痛は治まらなかった。以後、ルイ17世は体調を崩したままとなる

ルイ16世の処刑後、家族と引き離されたルイ17世は再教育という名の虐待を受けることになった

革命党員の制服を着用させられ、「ラ・マルセイエーズ」などの革命歌、カトリックや王室の家族を否定し冒涜する言葉、わいせつな言葉を教え込ませされた。具合が悪くなるまで無理やり酒を飲まされたり、「ギロチンにかけて殺す」と脅されたという

ルイ17世は暴力と罵倒や脅迫による精神的圧力によってすっかり臆病になり、かつての快活さは消え去った。この頃、スペインの外相とイギリスの外相はタンプル塔に潜入させていたスパイから、売春婦に8歳のルイ17世を強姦させ性病に感染させたという知らせを受けていた

さらに、マリー・アントワネットを処刑に持ち込みたいエベールとショーメットは、彼女が不利になる証拠を作るため、ルイ17世に自慰を覚えさせた。母と叔母はそれを見て楽しみ、近親相姦の事実があったという書類に10月6日に強制的に署名をさせる。翌日、マリー・テレーズとエリザベートはそれぞれ別々にルイ17世の部屋に呼び出され、尋問を受けたが、ルイ17世はショーメットらのでっちあげた罪状が事実であると繰り返した。そしてこの尋問はルイ17世が家族の姿を見た最後となった

マリー・アントワネットの処刑後、今度はエリザベートを処刑するための証拠を作ろうとした。既にエベールらに洗脳されていたルイ17世は、かつて叔母が行っていた密書の送り方などをあっさりと告白した

光りも尊厳もない家畜部屋

国内の王党派や外国の君主からは正式なフランス国王とみなされ、政治的に利用されることを恐れたショーメットとエベールは2月1日、元は家族の食堂であった部屋にルイ17世を押し込んだ。厚さが10フィートもある壁にある窓には鎧戸と鉄格子があり、ほとんど光は入らなかった。不潔な状況下にルイ17世を置き、貶めるために、室内にはあえてトイレや室内用便器は置かれなかった。そのため、ルイ17世は部屋の床で用を足すことになり、タンプル塔で働く者はこの部屋の清掃と室内の換気は禁止された。また、本やおもちゃも与えられず、ろうそくの使用、着替えの衣類の差し入れも禁止された。この頃は下痢が慢性化していたが、治療は行われなかった。食事は1日2回、厚切りのパンとスープだけが監視窓の鉄格子からするりと入れられた。ルイ17世に呼び鈴を与えられたが、暴力や罵倒を恐れたため使うことはなかった。監禁から数週間は差し入れの水で自ら体を洗い、部屋の清掃も行っていたが、ルイ17世はくる病になり、歩けなくなった。その後は不潔なぼろ服を着たまま、排泄物だらけの部屋の床や蚤と虱だらけのベッドで一日中横になっていた。室内はネズミや害虫でいっぱいになっていた。深夜の監視人交代の際に生存確認が行われ、食事が差し入れられる鉄格子の前に立つと「戻ってよし」と言われるまで「せむしの倅」「暴君の息子」「カペーのガキ」などと長々と罵倒を続けた。番兵の遅刻があった日は、同じ夜に何度もこの行為は繰り返された。もはや彼に人間的な扱いをする者は誰も居なかった

変わり果てたルイ17世の最期

ルイ17世を虐待していた連中が処刑され、ようやく彼は監禁生活から解放された

この頃のルイ17世は、栄養失調と病気のため灰色がかった肌色をし、こけた顔にぎょろりと大きくなった目、体中に黒や青や黄色の蚯蚓腫れがあり、爪は異常に伸びきっていた。食事の質が改善されなかったことと病気での衰弱がひどく、一人では歩けなかった。

彼を診断した医師は「出くわした子供は頭がおかしく、死にかけている。最も救いがたい惨状と放棄の犠牲者で、最も残忍な仕打ちを受けたのだ。私には元に戻すことができない。なんたる犯罪だ!」と述べたという

そして1795年6月8日の午後3時ごろ、激しい呼吸困難を起こしたルイ17世は、長いため息の後、全身の力が抜け、その短い生涯は終わりを告げた

ルイ17世は生前に、母と叔母の死を知ることはなかった。独房に墨で書かれた「ママ、あのね…」という書きかけの言葉と花の絵が残されたことや、塔の屋上に散歩に出た際に見つけた花を摘み取り、花好きの母のためにと、既に住人がいないことを知らぬルイ17世が母の部屋の前にそっと置いたというエピソードが残されている。

wikipediaより引用


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